習い事について、お悩み相談を受けることがたびたびあります。習い事が増えて、多忙になってしまい、でき太に落ち着いて取り組む時間がとれなくなってしまうというようなケースがよくあります。

子どもの「頑張りたい、どれも諦めたくない」という気持ちを尊重したいという御両親の気持ちもよく分かります。けれど、時には御両親の立場から「習い事の整理」を提案することも必要になってきます。

私は中学生の頃、進学塾と部活でハチャメチャに忙しい毎日を過ごしていました。どちらもやめたくなかったから、頑張り通しました。しかし私は、いつ頃からかすさまじい頭痛と眼痛に悩まされるようになってしまいました。当時の私の両親も、私の「頑張りたい、どれも諦めたくない」気持ちを尊重してくれていたのでしょう。ですが、今思うと、「もうこんなに無理するのはやめよう」と親の立場から言ってほしかったなと思います。頭痛・眼痛にいつも悩まされていた私の心身はいっぱいいっぱいだったのだと思います。子どもにとっては、「今がすべて」なので、俯瞰して物事を総合的に判断したりすることはなかなか不得手です。そんな時、やはりそばにいる大人が子どもの心身の健康を第一と考えてアドバイスすることも大切なことではないかと思います。


最近、こんなブログを見つけました。

ガメ・オベールの日本語練習帳
https://gamayauber1001.wordpress.com/

「ガメ・オベール」氏が日本社会について感じたことを書いています。
この中に、「時間を取り戻す:教育篇」という記事があります。

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日本の社会のいちばんの大罪は子供とおとなの双方から「時間」を大量にしかも恥じらう様子もない露骨さで奪っていることにあると思う。
ずっとむかしには、子供が学校が終わったあとでまた学校に行く、ということがどうしても理解できなかった。
なんでそんな時間をみすみすドブに捨てるようなもったいないことをするのか、だいいち、それではいつのんびりして「子供」がやれるのだ、と考えた。
子供の意識はおとなよりも遙かに稠密に出来ているので、1時間も勉強に集中させれば観念が猛烈な勢いで組み上がって、現実を蹴落として、自転する言葉の理屈というか、現実とは乖離した精緻な「観念のための観念」を動かす機械が頭のなかに発生してしまう。
「学校のあとの学校」へ行くとなると、子供にとって最も必要な「自然の時間の流速」を感得する人間の一生で最重要な機会を失って、根源的な不安、社会や自然から自分の時間の流れが孤立して齟齬をきたす、という不協和のなかで死ぬまでを暮らすことになる。
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子供にとっては「急かされる」ことは致命的でありうる。
まして社会全体によって急かされつづけて充分な時間の感覚を与えられなかった子供は、おどおどした気持ちのまま世界を渡ってゆくことになる。
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ドキリとしました。
子どもたちから、自然の中でぼんやりする時間を奪ってはいけない。
そう、思いました。

現代日本においては、なかなか難しいことですけれど。


【原田】